全盲の落語家、重体 「僕ら在日関西人」異ジャンルにも挑戦
伯鶴さんは大阪府東大阪市出身。同府立盲学校高等部普通科を卒業後、昭和50年に、当時の上方落語協会会長、六代目笑福亭松鶴さんに入門。同年、初舞台を踏んだ。
55年に大阪市淀川区三国センターで地域寄席「笑福亭伯鶴の会」を開始。平成10年から「僕ら在日関西人」と題して、異ジャンルのゲストを迎えて落語界だけにとどまらず在日韓国人ミュージシャンらと漫才、音楽、落語などを組み合わせた新しい舞台を企画。12年には「わてら在日関西人」と改題し、落語家の桂あやめさんらとともに人権、時事などを盛り込んだ舞台を繰り広げている。出囃子(でばやし)は歌手の高石ともやさんの歌「陽気に行こう」をアレンジして使っている。今月8日に天満天神繁昌亭に出演予定だった。
また趣味はマラソンや登山、スポーツ観戦。マラソンは、国内だけでなく海外のレースにも参加。登山は日本アルプスなどを踏破している。
伯鶴さんを知る演芸ライターらによると、伯鶴さん自身に障害があるため、「人権意識は非常に高かった」といい、いつも妻の介助を受けながら寄席に来る姿が印象的だったという。黒いめがねをかけ、静かな語り口で古典のほか、新作落語も手掛けている。
府立盲学校時代の担任教諭(71)によると、伯鶴さんは「落語が好きで好きで、進路選択のときにどうしても落語家になりたいといいだした。『せめて高校を卒業してからにしろ』と説得したら、3年間ずっと寄席に通い続け、高校卒業と同時に弟子入りした」という。
引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081202-00000106-san-soci
